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2009年06月10日

声にならない声で

蛍を見に宝ケ池まで行き、叡電の線路の上を通ってほろ酔い気分で帰ってきた。
インターネットをつけると、とんでもないニュースが飛び込んでくる。
AP通信は9日、北朝鮮が挑発行為を受ければ核兵器行使を伴う「容赦ない攻撃」を実施すると表明したと 報じた。
それはどこか遠い国のことのように思える。
遠い昔の話のように思える。
あるいは、遠い未来のことのように思える。
iPhoneの新機種が発売され、イチローが打率1位になり、村上春樹の新作は100万部を突破した。インフルエンザは影を潜め、マスクは山のように売れ残り、いつのまにか中国産の野菜の売り上げが伸びている。

北朝鮮が核兵器行使を伴う「容赦ない攻撃」を実施すると表明した?
どのアナウンサーもそのニュースを読み上げることはない。

梅雨がもうそこまで迫っている。
いつもより遅く、雨の季節がやってくる。
法然院でのライブは素敵な時間だった。
そっと包まれるようなエレクトロニカと、暴力的なまでに純粋なノイズが境内から庭へと抜けていく。
鹿おどしが絶妙の間で鳴り響き、猿たちは静寂を求めて騒ぎ立てる。蛙がそれを追いかけるように喉を鳴らす。げこげこ。

「ジョセフ・コンラッドが書いているように、真の恐怖とは人間が自らの想像力に対して抱く恐怖のことです。」

片桐に向かって「かえるくん」は言ってみせる。
村上春樹の短編集『神の子どもたちはみな踊る』「かえるくん、東京を救う」からの一節だ。
僕はたまらなくこの作品(と「蜂蜜パイ」)が好きで、朗読のmp3データまで持っている。
エージェンシーと志向性についての英語論文を読みながら、僕はかえるくんと片桐を応援したりする。

さあ、もう少し語らなければならない。
たとえばラッセル・アインシュタイン宣言について。
1955年に彼らは原水爆の禁止を訴えた。
中心人物はバートランド・ラッセル、そしてアインシュタイン。
アインシュタインはこの宣言が出される数ヶ月前に亡くなっていて、言ってみればラッセル・アインシュタイン宣言は、アインシュタインの最後のメッセージだ。


さて、ここに私たちがあなたがたに提出する問題、厳しく、恐しく、そして避けることのできない問題がある——私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか? 人々はこの二者択一という問題を面と向かって取り上げようとしないであろう。というのは、戦争を廃絶することはあまりにも難しいからである。

僕はそれを声に出してつぶやいてみる。
「厳しく、恐しく、そして避けることのできない問題」。
私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか? 

ポストロックを浴びるようにして聴きながら(今ちょうどMaybeshewillを聴いている)、僕はそれを反芻する。
「AP通信によりますと、北朝鮮が、挑発行為を受ければ核兵器行使を伴う「容赦ない攻撃」を実施すると表明したようです」
水分をたっぷりと含んだ風が、アナウンサーのかわりにその文章を読みあげる。それは梅雨の訪れを告げるのと変わらないトーンで読みあげられる。

「というのは、戦争を廃絶することはあまりにも難しいからである。」
アインシュタインは死の淵にあって、こうぶちまける。
私たちは、人類として、人類に向かって訴える。

決議

 私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、次の決議に署名するよう勧める。

「およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続を脅かしているという事実から見て、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する。」


それは疎水にそっと佇む蛍の光のようにも思えた。あるいは本当にそれは蛍の光なのかもしれない。アインシュタインが舌を出して笑っている。

蛙の声がする。今部屋の扉を開けると、かえるくんが突っ立っていたらどれだけいいだろう。
やあ、ろばとくん。
それはどこかのホラー映画の殺人鬼と同じ台詞にも関わらず、僕を落ち着かせるだろう。(あるいはそれは22世紀から来たネコ型ロボットを思わせるからだろうか。)
僕は懸命にかえるくんを応援し、かえるくんと共にどこかの国の核兵器からこの世界を救おう。ジョン・ケージの言葉のひとつひとつが力となり、その流れを汲むありとあらゆる音楽が盾となる。
およそ将来の世界戦争においては必ず核兵器が使用されるであろう。
それは一種の呪いのように僕の耳と眼から脳へと突き進む。
それは明日かもしれない、という思いと同時に、
それは昨日だったかもしれない
と僕は強く恐れる。
それは、昨日すでに起こったかもしれない。
ラッセルやアインシュタインや湯川秀樹が言ったように、あるいはホロコースト記念館の最後の出口に刻まれた言葉のように「それはいつかまた必ず起こる」と恐れながら、それは今までもずっと起こりえたのだ、という思いを携えて、僕らはかえるくんを応援しなれけばならない。かえるくんがやってこなければ(その可能性はかなり高い)、自分たちで救わなければならない。僕らは懸命に叫ばなければならない。死にものぐるいで伝えなければならない。僕らは叫びながら祈っているのだ。声にならない声で。震えて沈む世界で。

【参考】ラッセル・アインシュタイン宣言全訳



Posted by 京都学生団体EN at 03:05│Comments(0)
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