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2009年04月03日

とてもとても長い独白。あるいは誰かの感謝の気持ち。

ジョン・メイヤーのWhy Geogiaという曲を偶然どこかでダウンロードした僕は、彼のすがすがしいカッティングギターと、いかにもプレイボーイな甘ったるい声に浸りながら、8年前−−2001年の春と、去年−−2008年の冬を同時に思い出していた。
どちらも僕にとっては大切な時間だった。

8年前、ジョン・メイヤーのデビューアルバムのトップチューン−−No Such Thingは地元のラジオ局の月間ヘビーローテーションになっていて、僕は真新しい制服に袖を通し、買ったばかりの教科書に特有のインクの匂いに胸を躍らせ、ポップだのオルタナティブだの高度資本主義社会だのグローバリゼーションだのといった言葉も何も知らずに春を感じていた。
要するに、僕は2001年、中学生になったのだ。
あまりに僕は何も知らなさすぎたし、あまりに多くのことを僕は知ることになった。
種田山頭火の句集なんかを涙を思いっきり溜めながらノートに書き写したし、昼休みに学校で流す音楽はかたくなにMr.Childrenだった。
僕はあまりに何も知らなさすぎた。今その頃のことを思うと本当に愕然とする。あるいは誰もがそうだったとしても(そして今現在もそうだとしても)僕はあまりに何もかもを知らなかったのだ。

去年の冬は僕にとってつらい冬だったように思う。
ただでさえ毎年、冬がくるのを僕は怖々と待ち構える。
晩秋の空と風と冬の訪れを告げる冷たい空気と、それから、気の早いクリスマス商戦。
大通りを少し歩くだけで、僕は4人のサンタに出くわしたこともある。
その年の冬、僕は多くの不快な出来事に耐えきれず、京都の町家の2階から飛び出し、バイトの店長に一ヶ月休みを貰い、泊まるあてもやることもお金の工面も何一つ考えず東京への夜行バスに飛び乗った。去年の冬は本当に寒かった。ごく控えめに言って、本当に寒かったのだ。
僕は頭を見事な金髪にし、パジャマを着込み、六本木を熱にうなされながら歩いたりした。
道に迷ってふらりと入ったギャラリーの女性スタッフに「猫の棲む坂を越えて、らくだのいるビルに行く」ようにアドバイスされた。
僕はらくだがどてっと陣取っている西日暮里のとあるギャラリーで数日を過ごすことになり、朝方までインターネットをし、レディオヘッドを聴き、小説を書いたり洋楽の歌詞を訳したりした。昼過ぎまでぐっすりと泥のように眠り、それからRPGの最終ダンジョンのように複雑な東京の地下鉄を乗り継ぎ、麻布十番だの原宿だの銀座だのに繰り出しては、なけなしの金をバラまいた。食事の大半はマクドナルドですませた。僕にとっての東京は、当時始まったばかりのお代わり自由のプレミアムコーヒーが象徴している。それは今でも全く変わらない。
そういえばブログを書き始めたのは、ちょうどその頃である。

さて、ジョン・メイヤーのアルバムはとっくに終わり、僕の瀕死のマッキントッシュはシガー・ロスのTakk...というアルバムを流している。愛すべきアルバムだ。本当に心から感謝しているアルバムなのだ。そして、偶然か必然か、あるいは一種の後づけか、Takkというタイトルは「ありがとう」と言う意味なのだ。

プロジェクトが終わった日は、そのまま打ち上げに突入となり、5時まで僕は京都のバーで多くの仲間と飲み明かしていた。ホットワインにシナモンと蜂蜜をいれたものをゆっくりと飲みながら、久しぶりのタバコをゆっくりとくゆらせながら、僕はプロジェクトの終わりを過ごしていた。
何かをゼロから始めるということは、何かを誰かから受け継いでいくことと同じくらい大事なことであり、難しいことであり、楽しいことだと僕は思う。
プロジェクトが成功したか?と訊ねられると、僕は自信を持ってイエスと言うことができない。不出来な、稚拙な、未完成の企画だったことは否めない。僕らはそれを半年がかりでなんとか実行することまではできた。それだけのことだ。
ただ、僕らはこのプロジェクトをするにあたって、あまりに多くの人の協力を得てきたし、あまりに多くの素敵な人に出会いすぎた。少なくとも、僕はそうだ。
出会う人で会う人には歴史がある、と僕の人生にかなりの影響を与えた中学の美術教師は昔僕にそう言ったのだけれど、今回で言えば(昔からずっとそうなんだけれど)、出会う人出会う人がみんな素敵すぎた。
何気ない日常を、僕らの見えないところで、ときどきすれ違いながら誰もがそっと生きているのだ。僕は東京から京都へ戻って最初に書いた小説で、主人公の一人に循環についてあれこれ考えさせたのだけれど、僕らは、その誰もが、同時に−−誇張でもメタファーでもなく、本当に同時に−−生きているのだと僕は実感した。ブラジルの蝶の羽ばたきが、中国で大雨を降らす−−そんな大規模なバタフライエフェクトではないにしても、僕らの住むこのまちではしっかりと毎日誰もが誰かに影響されたりしている。こんなに素敵なことはない。
僕はこの年になって、いまさら「ありがとう」という言葉がどんなに素敵かを知った。

これが僕のこれからにどう影響を与えていくかなんて、考える気にもならないけれど、たとえばこれからボスニア・ヘルツィゴビナへ旅立つ人なんかがプロジェクトのメンバーにいたりして、僕はどうしようもなくうずうずしてしまう。
何かまた、始めたいと思うし、同時に、今までしてきたことを続けなければとも思う。

時の流れは本当に早く、僕はもう大学3年生になる。
今再び偶然ジョン・メイヤーを聴けたことは本当に良かったと思う。たとえば2001年には、僕は決して戻ることはできないけれど、2009年を素敵に生きることはできると思っている。そんな予感がするし、そんな風に思わせてくれる人たちがいっぱいいるのだ。

春だ。
桜はどんどん咲き始め、僕はパソコン越しに、授業の時間割をわくわくしながら考えている。アナログからデジタルになろうとも、この楽しさは変わらないのだ。

京都銭湯コレクション2009に関わっていただいたすべての皆さん。
ありがとう。
こころから。

ろばとでした。
とてもとても長い独白。あるいは誰かの感謝の気持ち。


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Posted by 京都学生団体EN at 23:41│Comments(0)進捗情報
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